
楊柳の“着心地”を世界へ広める 「株式会社 山城」
富小路三条を少し下がった場所にある「株式会社 山城」。ここでは「楊柳(ようりゅう)」や「クレープ」といった生地を使った衣類を手がけています。皆さんは「楊柳」という生地をご存じでしょうか。お恥ずかしながら、私は言葉も読み方も知らなかったのですが。
その「楊柳」生地でどんなアイテムが作られているのか。また、同社は数年前に素敵なリノベーションを行い、新しいスペースとして生まれ変わったとのこと。さっそく「株式会社 山城」の三代目であり社長の稗(ひえ)真平さんにお話を伺いました。

小さな縫製工場からはじまった「山城」の物語
——「楊柳(ようりゅう)」とはどのような生地なのか教えてください。
「楊柳」は桃山時代に中国から伝わった生地で、横糸に強くねじった糸を使うことで、縦方向に自然な凹凸が生まれ、伸縮性が出るのが特徴です。「楊柳」の仲間に「ちぢみ」や「クレープ」というものもあります。これらはすべて、生地を細かく畳んでぎゅっと握ったような表情と言えば伝わりやすいでしょうか。
——プリーツ加工ではなく、自然に伸縮性が生まれる生地なのですね!知りませんでした。
中には「楊柳」や「クレープ」と表示されていても、平織りの生地を型に押し付けてシワをつけただけのものもあります。一応は縮んで「楊柳風」になりますが、それは安価なもので、着ているうちにだんだん伸びてしまい、元に戻らないんです。
うちの「楊柳」は本来の織り方で作っているので、まったく違いますね。
——「楊柳」「ちぢみ」「クレープ」は、それぞれ用途は異なるのでしょうか。
「楊柳」や「ちぢみ」は着物の生地によく使われます。「ちぢみ」は麻や綿で織ることが多いですが、絹で織ると「ちりめん」と呼ばれます。
「楊柳」は着物だけでなく洋服でもよく使われますね。この前、街で若いアパレル店員さんが「楊柳シフォンのブラウスが…」なんて話しているのを聞きましたよ。
「クレープ」は、夏に着る「ステテコ」などの肌着に使われることが多いです。「クレープ仕立て」といった表記もよく見かけますね。シボと呼ばれるデコボコがあるので、肌にあたる面積が少なく、さらっとした生地です。

——そういえばコントやバラエティ番組でも、昔のおじさんの衣装としてよく見ます。
そうそう、それです!「ステテコ下着」や「クレープのシャツ」ですね。祖父の代に、そういった下着の縫製業の下請けを始めたことが「山城」の始まり。当時はご近所さんに「クレープ屋さん」と呼ばれていたんです。事業を広げて次は「ちぢみ」も扱うようになりましたが、もちろん粉ものの食べ物屋さんではありませんよ(笑)。
しっかり“山城”という名前を覚えてもらいたくて、「山城縫工所」から「株式会社 山城」に名称変更しました。
しばらくして親会社のメーカーから祖父に「事業をもっと大きくするために大分に工場を作らないか」と話があり、大分県・国東(くにさき)半島に工場を建てることになりました。当時すでに祖父は50歳を超えていましたが、思い切って新しいチャレンジを始めたんです。50歳からの挑戦、本当にすごいと思います。チャレンジに年齢は関係ないですよね。

——ご縁のない土地での挑戦、きっと大変だったことでしょう。
当時は道も悪かったでしょうし、本当によくやったと思います。高度成長期という時代背景もあってどんどん注文が入り、仕事が止まらなかったようです。
布地は10枚で「1デカ」と数えるのですが、当時は年間で30万デカ、時には100万デカを生産していたそうです。それでも1つの工場では追いつかず、もう1つ工場を建てるほどでした。祖父のチャレンジから亡くなる80代までの約30年間は、会社として右肩上がりの時代でしたね。
京都を外から見て初めてわかったこと
——稗さんは「山城」の三代目とのことですが、いつ頃から継ぐことを意識されていましたか?
幼いときから家にはミシンや断裁機があって、いつも「ガチャーン、ガチャーン」という音がして、すぐそばで祖父や父が働く姿を見ていました。だから、いずれ継ぐことになるのかな、という流れはなんとなく感じていましたね。父も僕に対してそのように仕向けていたように思います。
例えば、高校生の時にアルバイトをしようとすると「断ってこい!」と言われたんです。時給で働くと“こなす仕事”になってしまい、丁寧な仕事ができなくなる。「山城」の仕事は時給換算で進めるようなものではない、ということを伝えたかったのかもしれません。
特になりたいものややりたいことがあったわけでもなく、僕は一人っ子なので「いずれは継ぐのだろうな」と思っていました。でも、やっぱり反発しましたね。今思うと若気の至りです。

——今は「山城」を継いでいらっしゃいますが、ほかの会社で働かれた経験などはあったのでしょうか?
ありますよ。当時は“親が敷いたレールには乗りたくない”と強く思っていて、絶対継がないつもりでした。だから全く違う業種の仕事をいろいろ経験しました。一番長く働いたのは建築資材の運搬で、19〜20歳の頃です。夜の街で働いていた時期もありましたね。ほとんど貯金に回していました。
そしてあるとき、アメリカに住む友人のところを拠点に、貯めたお金で長期滞在してみようと渡米しました。そこで僕の「京都」の見え方や感じ方が大きく変わったんです。 現地の人と片言の英語で話し、僕が日本人だとわかると必ず「京都」のことを聞かれました。東京よりも京都のことを。また“京都から来た”ということを羨ましがられる。この経験で、自分が暮らす「京都」の価値を改めて実感しました。
そして、「京都」を軸に何かできないかと考えたとき、家業の「山城」でそれが実現できることにようやく気づいたんですよね。
——“京都らしい仕事”なのに、身近すぎて気づかなかった部分もあったのかもしれませんね。
そうだと思います。「山城」を手伝うことにしたのですが、家業とはいえ、アパレル業に本格的に関わったこともなければ学んでもいなかった。このまま継ぐのは難しいと感じ、まず糸商社に入社しました。そこでの勤務は、朝早く出勤して夜遅くまで働く日々で、かなりハードでしたね。当時はキラキラした派手目なニットが流行っていて、ラメ糸が飛ぶように売れていた時代です。そこで2年ほど経験を積んで、ようやく「山城」を手伝うことになりました。
ところが京都で働くと思っていたら、「大分に行け」と言われまして。子どもの頃から連れて行ってもらっていたので場所も仕事内容もある程度はわかっていたつもりでしたが、それでも最初は本当に大変でした。
父が社長で、僕はその息子。京都から来た若者が本当に仕事ができるのか、将来社長候補かもしれない僕に向けられる厳しい視線も感じました。正直、辛かったです。
大分には結局3〜4年住みましたが、最初の1年は逃げることばかり考えていました。でも、工場の中の仕事だけでなく、新しい商品の企画など工場の外の業務にも挑戦しました。半年かかるような仕事を1カ月で仕上げたりして、少しずつ認めてもらえるようになったと思います。
その後、京都に戻ってきました。

「山城」から「京都縮織 山城」へ
——もともとはクレープ生地の下着を製造されていたとのことですが、今の店内にはとてもスタイリッシュなお洋服も並んでいますよね。お洋服を手がけるようになったきっかけは?
僕が「山城」を手伝い始めた頃は、ほとんどがクレープ生地の白い下着ばかりを作っていました。そんなとき、母が売れ残ったシャツにカルチャーセンターで習った「絞り染め」を施していたんです。それを見て「これ、うちの商品にも応用できるんじゃないか」と思い、試しに販売してみたら意外と売れたんですよ。
白ばかりだった下着が、色を染めるだけでこんなにおしゃれでカッコよくなるのかと、僕自身も驚きました。それをきっかけに新しい商品開発を始め、まずは老若男女に着てもらえそうな「Tシャツ」を作り、「山城」のブランドとして展開したんです。


——それがブランド「山城」の最初の商品なんですね!
そうなんです。今も定番商品として7色展開で販売していますが、当初は10色以上ありました。商標登録もしていますよ。それから「Vネックがほしい」「長袖を作って」「タートルネックは?」など、お客様からのリクエストに応えていくうちに、どんどんアイテムが増え、ジャンルも広がっていきました。
今でこそストレッチデニムは一般的ですが、まだ素材としてあまり普及していなかった頃に「夏でも履けるスパッツがほしい」と言われて、この開発に3年かけました。この商品が意外にもヒットし、現在も定番商品になっています。このヒットをきっかけにいろいろな方から知恵を借りて、「山城」で「京ちぢみ」という商品を開発することにつながったんです。
さらに、知人の提案でブランドをさらに発展させるため、名称を「京都縮織 山城」に変更し、今のロゴも新しく作りました。

——店内にはたくさんのアイテムがありますが、「楊柳」以外の生地の商品も扱っていらっしゃいますよね。
はい。ブルゾンなどに染めを施したアイテムも展開しています。絞りのTシャツを商品化する際に知り合った染め屋さんにお願いして、カッコよく染めてもらっているんですよ。最近はこういった染めの商品にも力を入れていますし、カシミヤなどのニットも染めて販売しています。

フルリノベーションし「山城」の新店舗誕生
——こちらの店舗は数年前に新しくされたとか。とても明るくて素敵な空間ですね!
ありがとうございます。手がけてくださった建築デザイナーの発想が素晴らしくて、こうした“抜け感”のある店舗に仕上がりました。
先ほどお話しした通り、ここはもともと祖父が住んでいた場所で、店舗と作業場を兼ねており、3階が家族の生活スペースでした。つまり、僕の実家そのものだったんですね。
ただ長い間、会社と生活の空間が分かれていないことが気になっていたんです。店舗のすぐ奥が生活スペースだったので、おかずの匂いがしてきたり(笑)。仕事の打ち合わせをしていても、母の「真平、ご飯できたで!」なんて声が聞こえることもありました。
「山城」というブランドの力をもっと高めていくためにも、店舗と住居をきちんと分けた新しい空間が必要だなと。
WEBショップや百貨店の催事にも全国で出店していましたが、「山城」のアイテムを一堂に見ていただける“フラッグシップショップ”を作りたかったんです。
よく見てもらうと柱が残っているのですが、実は建て替えではなくフルリノベーションなんです。立地が良いのでずいぶんと前からビルに建て替える案もあったのですが、タイミングが合わずに何度か立ち消えになっていました。
今回も最初はビルにする方向で進んでいたんですが、エレベーターや柱が必要になると使えるスペースがかなり減ってしまう。また新築にしてしまうと、これまでの“ガチャンガチャンと工場が動いていた歴史”がすっかり消えてしまうような気もして。完成図を道の向こうから眺めたときに「これは違う」と思って、リノベーション案に切り替えたんです。
——計画変更で建築デザイナーさんも驚かれたのでは?
はい、もうめちゃくちゃ怒られました(笑)。「今ですか!?もう手配進んでますよ!」って。でも結果的に本当に良かったと思っています。僕が暮らしていた家の柱がそのまま残っているので、どこかに子供の頃の落書きが残っているかもしれませんね。


——1階は店舗と会社、2階はレンタルスペース、3階はコワーキングスペースなんですね。
そうなんです。
1階の店舗は、「山城」の着心地がよく肌にも優しいアイテムを実際に手に取ってもらえる場所。
2階は多用途に使えるスペースで、ヨガ教室としてご利用いただくことも多いですね。「山城」にはヨガにぴったりなアイテムもあるので、相性がいいんです。
3階はちょっと“秘密基地”のようなコワーキングスペースになっています。本来は社長室にしようかと案もあったのですが、必要ないかなと。それならお客様に使っていただいたほうがいいと考えて、コワーキングスペースに。


——最後に、今後の展望をお聞かせください。
そうですね。「山城」の商品を世界中に広めたいと思っています。日本国内でもまだ十分に浸透しているとは言えませんが、夢は大きいほうがいいかなと。
もっと細かいところでいえば、商品力やブランド力をさらに高めて、「山城のアイテムを持つことがひとつのステータス」だと感じてもらえるような、そんな商品づくりを続けていきたいですね。

三代目の稗さんは、とても聞き上手な方でした。つい私のほうが話し込んでしまい、脱線してしまう場面も……失礼いたしました(笑)。
取材では「楊柳」生地のさまざまなアイテムを見せていただきましたが、そのどれもが本当に心地よく、身につける人をやさしく包み込むような魅力を感じました。大切な方への贈り物としてはもちろん、自分用としても、きっと長く愛用したくなるアイテムばかりです。
また稗さんは、「楊柳」や自社アイテムの魅力をより多くの人に届けたいと、インスタライブをはじめSNSでも積極的に発信されています。気になる方は、ぜひチェックしてみてくださいね!(文・写真:上山)
株式会社 山城
京都市中京区富小路通三条下ル朝倉町539番地
075-221-4456
店舗定休日 月曜日
店舗営業時間 11:00~18:00(12月~2月は12:00~17:00)
https://yamashiro.biz/
※掲載内容は取材時のものです。最新情報は念のため店舗公式の情報をご覧ください。







