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大正8年創業の川原株式会社、目指すは地域密着型の「まちの制服屋」

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三条通を少し南に下った高倉通沿いにある「川原株式会社」。大正8年創業と歴史のあるこちらでは、ユニフォームや制服の企画制作を行っています。社長の上田篤志さんに会社の成り立ちや縫製業界への思いを聞いてきました。

京都府内の官公庁の仕事を制服から支える

――まずは会社の事業内容を教えていただけますか。

京都市や京都府を中心とした官公庁向けの制服手配、京都市内を中心とした民間企業の制服販売がメインの事業内容です。あとは、制服に関連したアイテムの手配も承っています。シューズや帽子などですね。昨今、国内製品を使っての生産が難しくなってきているので、オーダーメイド希望の方は海外での制作も行っています。

――手広く展開されているんですね。官公庁ということは市役所などの制服を作られているんでしょうか?

そうですね。市役所や警察、消防、社会福祉協議会や観光協会、京都市交通局、京都市上下水道局などもほぼ我が社で対応しています。民間企業でいうと、製造業をされているところがメインで、規模の大きな製造工場や建設工務店の作業着などを主に取り扱っています。

官公庁の制服をはじめ、作業着やユニフォームなど取扱商品は多岐に渡る
シューズや帽子など関連商品も取り扱っている

顧客にとことん寄り添い、納得のいく一着を提案

――制服って学生服のイメージが強いですが、改めてお話をお聞きすると、いろんな会社や場面で活躍していることが分かりました。では、オーダーの流れをお伺いしても良いですか?

既製品もオーダーメイドも基本的には同じなんですが、まずはお客さんに希望をお聞きします。職種に応じて、素材や柄、カラー、デザインなどを提案し、希望の絞り込みが済んだらサンプル試作に移ります。

既製品の場合は、我が社で取り扱っているメインメーカー10社くらいのカタログから、希望に沿った制服をプレゼンします。オーダーメイドの場合は、オーダー内容に合わせてパタンナー(※ファッションデザイナーが作成したデザインを服にするために型紙を起こす職人)に依頼して、型起こしから始めます。いまは生地加工出来る職人が少なくなってきていて、全てコンピューターで管理しているので、ソフトなどを使って自分でデザインを作れる方にお願いしています。

腕の良いパタンナーにお願いすると全く着心地が違うんですよ。あと、婦人服が得意な人もいれば、作業服が得意な人もいる。それぞれ得意分野が違うので、お客さんのお話を聞きながら、適したパタンナーを提案しています。

各メーカーの既製品制服カタログ。季節に応じてラインアップが変わるため、お客さんのオーダーに合わせてベストのものを提案するとのこと

――なるほど、お客さんに寄り添いながら提案されているんですね。創業は大正8年とお聞きしました。かなり歴史がありますが、当初から制服を取り扱っているんでしょうか。

創業当時は社名も違って、輸入生地のやり取りをしていたと聞いています。社屋も元々町家だったんです。5、6年前に立て替えて今の形になりました。創業当初は布帛繊維の取り扱いもやっていたそうですが、社会情勢や時代背景にともなって、1950年頃からユニフォームに特化するように…。最初は学生服も手掛けていて、京都大丸を中心に神戸や大阪、博多などに出店していました。今のような事業内容になったのは、現会長(川原豊一郎さん)の世代になってからですね。

――時代の変化に対応されていったんですね。では、こだわっている部分や大事にしている部分を教えていただけますか?

京都の狭い地域での商売なので、地域に必要とされる会社で在り続けたいという思いはあります。地域密着型のまちの制服屋さんを目指しているので、通販はしないんですよ。実際にお客さんとお会いして、やり取りを重ねて、対面販売をメインにしています。お客さんとのつながりは会社として大事にしている部分です。

お客さんの要望にも出来る限り応えられるようにしています。たとえば、「制服が一着足りないから送って欲しい」と連絡をいただいたことがあるんですが、すぐにメーカーさんに問い合わせして、スケジュールによっては先方に直送してもらうように手配して…といった風に対応させていただきました。

――すごい。迅速な対応が信頼にも繋がっているんですね。

京都ってほかと文化圏が違うんですよね。価格だけでお客さんは動かないですし、人とのつながりを大事にする。会社を継続するためにお客さんに寄り添いながら、そばにいたいと思ってやり取りをしています。「つながり」が我が社の一番の特徴でもありますし、大事にしている部分ですかね。

制服の発送作業は正確、丁寧に

――お客さんもそこに魅力を感じていらっしゃると思います。

そうですかね、そう信じたいですね(笑)。

お客さんだけでなく、各メーカーさんともお話をさせていただいています。制服メーカー自体の形も変わってきているんです。いまは90%以上が海外生産。国内で衣服を縫える工場が残念だけど減っている。コロナ禍で廃業した縫製工場もたくさんあります。

私たちとしても「出来れば国内の製品を使いたい」という思いがあるので、その点は各メーカーにお願いをし続けています。展示会に参加した際などに「技術を流出したままにせず、国内で生産できる形をなんとか整えて欲しい。そうすることで、いざというときに自給出来る体勢を作り直せると思う」と。私が出来ることは縫製メーカーにお願いし続けることだと思っています。技術が途切れないうちにどうか、と。

オリジナルのワッペンをつけることも可能

地域貢献と次世代への想い

――では、上田さんのお話もお聞きしていきたいのですが…。こちらに入社されたのはいつなんでしょうか?

平成元年ですのでかれこれ35年ほどになります。もともと、学校を卒業してから他の会社で働いていたんです。いつまでも親のすねは噛じられへんな、ということで。配属先が東京の営業所だったので、ほんの僅かな期間ですが東京で暮らしていました。最初から京都に戻るつもりではいたんですが、他の土地を見るのも楽しいかと思って。

――そんな経緯があったんですね。それから川原さんのところに?

いえ、京都に戻ってきてからは、アルバイトに近い状態で印刷会社の創業に携わりました。営業アシストという形だったんですが、その会社が5、6年ほどで軌道に乗ったので、そのタイミングで「自分が何をしたいか」と立ち返ったときに、「ものづくりがしたい」と思ったんです。元々衣服が好きだったので、オフィスウェアや作業服を扱えるユニフォーム業界に魅力を感じて、同業他社に入社しました。そこでも5、6年働きましたね。でも、ここでは自分のやりたい仕事が出来ないという思いが芽生え始めたので、そのタイミングでご縁のあったここに入社を決意しました

――なるほど。上田さんご自身がやりたかったお仕事というのは具体的にどんなことだったんですか?

わたし自身は、地域に密着した仕事をやっていきたかったんです。ただ、会社によって営業の規模も違えば、扱える品目も違うし、間口を広げることがなかなか出来ない。前の会社では、タクシー会社の制服をターゲットにしていて、もっと事業を広げていきたいという思いを抱いていました。

官公庁という新しい取引先とのやり取りが出来る川原の営業は、やり甲斐がありましたね。当時は業績も低迷していたので、売上を回復させたいという思いもありました。

――そうだったんですね。官公庁の制服制作はほかの企業とは違うものなんでしょうか?

官公庁の制服は他の制服とは似て非なるものという感覚で最初は難しかったです。ものづくり自体が書面というか仕様書になっているんです。糸の太さや重さ、生地の密度まで使用素材が事細かく書き込まれていて。

――すごいですね。でも、その分やり甲斐を感じそうですね。

そうですね。官公庁ということは、地域に住んでいる方々の税金を使って制服を作っている。だからこそ、適正な価格かつ良質なものを納めたいというのが第一にありました。職員の皆さんが気持ちよく仕事が出来るように、と。消防隊の皆さんが消火活動をする際に制服が燃えたらもちろんだめだし、救急隊も危険な仕事。市民の安全と命を守る方々ですし、いつなにが起こるかわからない時代。仕事内容や時代を配慮しながら、なおかつデザイン性の高いものを提案したいと取り組んでいました。

――営業として経験を積まれたんですね。社長に就任されたのはいつ頃なんでしょうか?

5年ほど前です。本当は定年退職するつもりだったんですが、次の世代にバトンタッチをする前に会社を継いで欲しいと会長からお声がけいただいて。長年お世話になった以上、会社を存続させていきたい、残したいという思いが強かったので、お受けすることにしました。

――それほど会長さんへの恩を感じていらっしゃったんですね。

その気持ちももちろんありますが、地域の皆さんへの感謝も大きかったです。「川原さんにお願いしたい」と言っていただけるお客さんのためにも会社を継続して、地域のための制服屋として在り続けたい、次世代にも伝えられるようにしたい、と思っていました。

お客さんの要望通りの商品を提供して、喜んでもらうのが仕事に対する成果だと考えています。喜んで使ってもらいたい。それが一番。

社員は7人、少数精鋭のアットホームな雰囲気

――お話していると上田さんの真面目なお人柄が伝わってきます。ところで、趣味はありますか?

そうですね、20年ほど前から夏休みを一人で取ると自分のなかで決めていて、アジアを中心に文化の違う地域に旅行へ行くのが趣味ですね。下町や市場へ行って、現地の方々がどんな暮らしをしているのか実際に見たり、話をしたりするのが好きです。これまで韓国や中国、ベトナム、タイ、インド、ミャンマー…いろんなところへ行きましたね。アジアが好きで、この人たちと共栄していけたら良いなと思っています。

ご自身の経歴をお話される上田社長

――コミュニーケーションは英語で取られるんですか?

語学は堪能ではないけれど、英語圏ではない国によく行くので、向こうも堪能じゃないからちょうど良いんです。去年の年末年始はフィリピンのルソン島へ行きました。ピナツボ火山を見てみたくて。

海外にも縫製工場がたくさんあるので、見学会がある場合は必ず行って、見せていただくようにはしている。今後はもっと若い次の世代に行って欲しいと思っています。

――なるほど。趣味でもある海外旅行が仕事にも活かされているんですね。先ほどのお話とも繋がるとは思うのですが、今後の展望について最後にお聞かせいただけますか?

地域のために貢献していきたいですね。わたし自身が経験したことやお客さんとのつながり、海外の経験なども含めて、次世代につなげていきたいとも思っています。

上田さんの好奇心と向上心を見習わなければ…と実感した取材でした。「縫製業界において自給できる体勢を整え、技術を途切れさせない働きかけをしていきたい」との言葉がとても印象的でした。(文:西井/写真:山本)

川原株式会社 社長 上田 篤志さん 

1953年京都市生まれ。趣味は海外旅行。一人旅も好きですが、友達をアテンドすることもあります。

川原株式会社

京都市中京区高倉通三条下る丸屋町161-1
TEL 075-221-0474
定休日 土・日・祝日
営業時間 9時〜18時
https://www.kawahara-kyoto.co.jp/

※掲載内容は取材時のものです。最新情報は念のため店舗公式の情報をご覧ください。