
知恵や工夫で伝統を守る、京扇子専門店「山武扇舗」
日本を代表する伝統工芸のひとつ、扇子。特に京都では、今もなお数多くの扇子屋が軒を連ね、それぞれの特色を活かしながら伝統と歴史を守っていらっしゃいます。今回は、六角柳馬場に店を構える京扇子専門の山武扇舗にお伺いし、三代目店主の山本武史さんに家業を継いだ経緯や展望などをお聞きしました。
歴史は江戸時代。舞扇子を中心に取り扱う
――さっそくですが、お店の歴史について教えてください。ルーツは江戸時代とお聞きしましたが…?
はい。家系的に扇子との関わりが深く、歴史を辿ると江戸時代の末期に遡ります。父や親戚の話によると、最初は伏見のあたりで扇骨の問屋をしていたそうです。山武扇舗の創業は昭和10年頃で、初代店主は祖父です。いまは基本的に京扇子の製造や販売をメインで行っていますね。
――ここのお店は最初から六角柳馬場に建てられたんですか?
最初は五条室町にお店を構えました。五条木屋町のあたりは扇子屋が多く、発祥の地とも言われているんです。いまもたくさんの職人さんがいらっしゃいますよ。五条室町のお店は戦時下の建物疎開により撤収し、その後、今の場所に移転しました。
――では、山武扇舗さんで取り扱っている扇子について教えていただけますか。
当店では、「夏扇」「飾り扇」「舞扇子」の3つをメインに取り扱っています。その中でも専門は舞扇子です。その名の通り、稽古や舞台などで使うものになりますね。祖父の時代から専門で取り扱っているそうです。



――お店によってそれぞれ特色があるんですね。
そうですね。東本願寺あたりの扇子屋さんはお寺の扇子の取り扱いが多いなど、地域によって特色や強みがあります。当店がどういった経緯で舞扇子を専門に扱うようになったのかは定かではないのですが、舞扇子は需要も高く、祖父がそこに活路を見出したのかも。
バンドマンからの転身、店を継いだ理由とは
――次に山本さんが三代目としてお店を継がれた経緯についてお聞きしたいです。以前はバンドをしていたとお聞きしたのですが…。
はい、20代の頃にバンドをしていました。20歳くらいからバンドにのめり込みました。当時は音楽で食べていくことを夢に見ていたのですが、29歳で解散しました。
――30歳を前に区切りをつけたということでしょうか。
そうですね。当時はバンドブームもあって、地元のライブハウスでライブしたり、曲を作ったり、地方ツアーもしたしインディーズでCDをリリースしたのですが、いろいろとあって解散することになり…。解散してから他のバンドメンバーは就職したり、仕事に本腰を入れたりと動き出していて、でも自分はあまり人生のことを深く考えていなかったんですよね。バンドとバイトしかしてこなかったし、就活もしたことがないし。なにをしたいかも分からない。今後どうしようかと。
――なるほど。それで解散をきっかけにお店を継ごうと決意されたんですね。
そうですね。バンドやっている時は「継がへんぞ」と思っていたんですが、解散後は「やることないしお店やるわ」と(笑)。すると親父が「しんどいけど、やってみたら」と快諾してくれて。

――すごい決断ですね。継ぐつもりはなかった、とのことですが、子どもの頃から継ぐおつもりはなかったんですか?
そう言われると、ぼんやりと意識していたかもしれませんが、特になにも考えていませんでした(笑)。店舗兼住宅という昔ながらの造りで、仕事する父の背中を間近で見て育ったので、「難しそうやな」とは思っていましたね。
――難しそうやな、というのは?
職人的な技術が必要な扇子づくりもするし、店自体を運営していかないといけないですし。
――製造もされるので、技術を身に着けないといけないですよね。お店を継ぐにあたって、どんな修業をされたんですか?
実は最初の五年間くらいはやる気なく過ごしていたんです(笑)。そもそも仕事をしたことがないので、何をしたら良いか分からない。仕事を取りに行く、という感覚も皆無に等しい。お店の店番をしたり、昔から手伝ってくれている姉に教わりながら軽作業をやったり、という感じ。自ら主体的に仕事をする、ということが最初の五年間は全くなくて。
――これまでも、お店の手伝いをする、ということはなかったんですか?たとえば、子ども時代や学生の頃とか。
なかったですね。扇子づくりに関しては簡単な作業を父に教わりました。舞扇子の親骨にかかっている糸掛けをしたり仕上げしたり、あとは出荷作業とか。各職人さんに仕事をお願いする「職場まわり」もやりました。

くすぶっていた5年間、世界が広がる3つの転換期
――その五年間を経て、本腰を入れるようになったきっかけはなにかあったんでしょうか?
きっかけは3つあります。まず1つ目は、オンラインショップを立ち上げたこと。中学時代の同級生がWEB構築の仕事をしていて、声をかけてもらったのがきっかけです。そこで初めて主体的に「商品を売る」ということについて考えるようになったんです。オンラインショップが動き出すと注文や問い合わせが入り、「仕事を取る」という感覚を覚えていきました。
2つ目は、「京都扇子団扇商工協同組合」に加盟したこと。60社くらいが所属している団体で、以前は加盟していたのですが、父の代で一度退会したんです。でも、他の扇子屋さんが声を掛けてくれて再加盟することになり、さらに青年部に入って一気にいろんな仲間が出来ました。これまで扇子業界のことを知らなかったので、外部からの情報は鮮烈で。「こんな人がいるんだ」「こんな考え方があるんだ」と扇子の知識や技術を吸収出来て刺激にもなったし、世界が広がりました。
3つ目は、初めて企画商品を作ったことです。「こんな扇子があればかっこいいな」と思うのを自ら企画したんです。その時にコラボしたのが、バンド時代にライブハウスで知り合ったアーティストさんです。その方の作品が好きだったこともあり、「デザインしてくれへん?」と話を持ちかけて、オリジナルイラストを描いていただき、夏扇を作りました。
――3つのターニングポイントを経て、もっと頑張ろう、と仕事に対してポジティブな意識が芽生えたんですか?
まあ、自然と巻き込まれていったというか。商売の流れに自然とぽんと乗ったイメージです。
――現在もアーティストさんを起用したオリジナル商品を作っておられますよね。
コラボ企画を続けていると、ありがたいことに「こういう商品を作りたい」と問い合わせをいただくことが増えました。大阪在住のアーティスト・BAKIBAKIさんとの夏扇とか、バンド時代の先輩でもある10-FEETの結成25周年グッズも作らせていただきました。

――豪華な面々ですね。オリジナル商品やコラボ企画の楽しさはどこでしょうか?
「自分も欲しい」「かっこいいと思う扇子が欲しい」というのが原動力かもしれません。「好きなアーティストさんの作品が扇子になったら絶対かっこいい」と思いますし。あとは、デザインのやり取りも楽しいですね。一から扇子を作り上げていくことにも楽しさを感じています。
「京扇子」という伝統工芸を守るために
――では、お店をどうしていきたいかなど今後の展望などを教えていただけますか。
正直、伝統工芸には「どう保つか」「どう維持するか」というネガティブな課題もあり、未来の展望を語れる状況ではないんですが、「店を確実に続けていく」「途切れさせるわけにはいかない」という思いでいます。お店も100年以上続いていますし、存続させるためにはどうしたらいいか、を考えるべきだと思っています。

――山本さんとお話していると、時代の流れに柔軟に対応されている方なんだな、と思います。コラボ商品だったり、青年部での活動だったり。だからこそ色々と広がっていると思うんですよね。
そうだといいんですけどね。とはいえ、京扇子の注目度は低くないとも思っているんです。海外からも注目されているし、1200年も続いている伝統工芸ですし、途切れることはない。何かしらの工夫で生き残る文化だと思っています。従来と同じ扇子は作れないけれど、いろんな工夫をして、いま出来る一番いい扇子を作っていきたいですね。
――ちなみに、夢はありますか?
夢としては店を改装して大きな店にしたい、との思いはありますね。お店も町家でいい建物ですし。この町家を活かして、扇子だけじゃなくて他のお店も入ってもらって、複合施設に出来たらこの街ももっと盛り上がるんじゃないかと思っています。
――素敵な夢ですね。最後に扇子を使う良さを教えてください。
私ももちろん扇子を使っています。自分で扇いで柔らかい風を起こせることですね。風を感じながら、涼を取ったり、思慮を巡らせたり、扇子の柔らかい風を感じながら楽しんでいただきたいです。

取材中も地元の方や観光客などたくさんのお客さんが来られていました。お忙しいなか、貴重なお話をありがとうございました。山本さんのお話や人生が大変興味深く、楽しい時間を過ごすことが出来ました。素敵な扇子を眺めていたおかげで、私も扇子デビューしたくなりました。この夏は自分で風を起こす良さを私も感じてみたいと思います。(文:西井、写真:山本)
山武扇舗
075-221-2973
京都府京都市中京区六角通柳馬場東入大黒町70
定休日 不定休
営業時間 午前9時〜午後6時30分
https://yamatake-senpo.com/
※掲載内容は取材時のものです。最新情報は念のため店舗公式の情報をご覧ください。