母の思いをつなぐ。餃子がトレードマークのお店「楽仙樓」
京都一番の繁華街四条通り近く
東洞院通を数歩南へ歩けば空腹を刺激する美味しそうな香りがいつもやってくる。店頭に立つ店主が「お疲れさん」といつも気さくに声をかけてくれるお店「楽仙樓」にお話を聞きました。
広めたかったのは本場の餃子
――お店はいつ頃からあるのですか?
1994年8月1日に下鴨では母が創業し、オープンして27年になります。2003年に四条、今の場所に移転ました。母は残留孤児である父と中国で職場結婚し、後に父の日本の家族が見つかり、1979年4月一家で来日しました。母の作る餃子が評判で作り方を教えてほしいなどの声もあり私が小学生の頃、母の餃子教室なんかもやってたんですよ。
――当時から評判だったんですね。水餃子ですか?店の看板メニューなんですね。
そうなんです。日本ではそう呼ぶのですが、中国ではこれが「餃子」のスタンダードなんですよ。もっと餃子を広めたいという思いから、ある時お店を始めることにしたそうです。
――創業してから何十年も経っていますがお店は綺麗ですね。
現在のお店は3年前に改装したんです。さすがに何年も経っているので改装業者さんに頼んで新しくしました。それに私が引き継いでから自分がやりたい形にもしたかったので。
――結構大幅に変えたのですか?
お客さんが居心地が良いようにと考えました。カウンターは高く、椅子も足が届かないつくりなのを低くしました。うちのお客さんにはファミリーや体の不自由な方もよく来てくださっているのでテーブル席が満席の時には使い勝手がわるかったんです。車椅子でもカウンターに座れるようにしました。
――外から見るとテラスに常に人が談笑していて、店内も少し見えたり、楽しそうな感じがします。
以前は入口の扉が重厚で店内に入りにくい雰囲気だったんですが、テラスでも食事ができるようにしました。冷房や暖房機、ブランケットなども季節によって用意しているので快適に過ごせるように考えています。
――いつから伸子さんがお店を継がれたのですか?
11年前です。それまで別の会社で正社員で働いていて、継ぐことは全く頭になかったんです。ある時夫が「お母さんの代で終わるのは勿体無い」と言ったのがきっかけでした。
――旦那さんは餃子の事を気にかけていたんですね。
夫は学生の時に、母の元で手伝っていたことがあり、親しんでくれていたのでそういった気持ちになったんだと思います。「そうやな母の餃子美味しいもんな」だんだんとそう思うようになりました。
――なるほど、それがきっかけとなったのですね。
そうなんです、その話を母にしたらすごく喜んでくれました。もう、明日にでも働いてくれるものと待ってました。流石に仕事の引き継ぎなどもあったので数ヶ月後でしたけど(笑)
――小さい時から餃子を作られているのでお母さんもとても心強かったのではないですか?
それが実際に働いてみたら店内は油で染み付いていて在庫もどこに何があるかわからない状態で、愕然としました。最小限の人数でやっていた店だったので厨房をこなすのが精一杯だったんです。
――何から手をつけていいのかわからない状態という事ですか。
合間を見て毎日少しづつ掃除から始めました。また、在庫も商品があるのにダブって発注して勿体無いことになっていたので棚にラベルを貼るなどして整理整頓。ようやく納得がいく形になるまで3年くらいかかったかな。自分が店を継いだ理由は、お母さんに楽をしてもらうため。ずいぶん年齢も重ね、朝から晩まで働きずめだったのをちょっとでも楽になってほしい。美味しい料理を作ることだけに集中してもらいたかったんです。おいしい餃子を作り続けて欲しかった。
成し遂げたかった伸子さんの思い
――強い気持ちでお母さんとお店を助けて来られたのがよくわかりました。
次に料理人にお母さんの料理を覚えてもらい、働く時間を調整できるようになっていきました。体が楽になると精神的な余裕も生まれて楽しく過ごせると考えました。そうなると周りの雰囲気も良くなりみんなで楽しいお店にできるでしょ?
――確かにおっしゃる通りですね。
店の雰囲気がいいと結果としてお客さんも入りやすいだろうし、いい方向になりますよね。
――本当にいい状態に進めていけたんですね。
ようやくそこまでいけたなと思いました。ただもう一つどうしても成し遂げたいことがありました。それはお母さんの餃子を全国へ広めること。母は中国から来て日本語があまりしゃべれなかったので広めるにも限界がありました。幼い頃から手伝って来たお母さんの餃子作りは、小学校へ教えに行ったり、教えて欲しいと口コミで広がっていき、だんだんと周りに知れていきました。まわりから「教室やお店をしたら?」となってお母さんは餃子を広めたい思いから「楽仙樓」をはじめました。
――そうでしたか。
ここから先はお母さんの餃子を広めるのは私の使命かなって。他店舗やEC展開、今やっていることの全ては広めるため。そういった中で最近始めたのがセントラルキッチン「手包み工房 楽仙樓」です。
――8月にオープンしたというここから5分ほど歩いたところにある店舗ですね。
そうです。セントラルキッチンとは冷凍の餃子を作る場所です。どうせなら作っている様子も見てもらいたいと思って、包んでいる様子も外から見れます。またその場で販売もしています。
――新しい試みですね。皆さんで作っていて楽しそう。
うちの特徴ですね、フレンドリーな雰囲気を心がけています。お客さんとたわいもないこともたくさん話をさせてもらってコミュニケーションをとれる店であり続けたいと思っています。
――なるほど、お話を色々聞かせていただきありがとうございます。では最後に今後の展望などあれば教えてください。
餃子教室をやりたいですね。私自身、忙しくしていたので、子供を相手する時間が少なかったんですね。親子で何か楽しんでやる場所を作りたいと思っています。一緒に何かやることは子供の心を育むと思います。そういう場所を提供したいし、またそうすることでお母さんの餃子も広まっていく機会を作りたいですね。
取材を終えて餃子を広めたい思いはお母さんとの絆を残したい暖かい思いを感じました。最後に「私が一番お母さんの餃子のファンだからでしょうね。」という伸子さんの言葉が印象的でした。 (文/写真:山本)
楽仙樓 2代目 三原伸子さん
1975年中国のハルピンで産まれ、4歳の時に来日。お母さんの後を継いで楽仙樓を営む。小さい時からものを作ることが得意で、よく編み物でマフラーや手袋を編んでいた。
楽仙樓
京都市下京区元悪王子町37番地 豊元四条烏丸ビル 1F
TEL 075-351-4900
定休日 月、第1・第3日曜日
営業時間 ランチ11:30~14:30/ディナー17:30~22:00
https://rakusenroh.jp/
※掲載内容は取材時のものです。最新情報は念のため店舗公式の情報をご覧ください。