
糸を紡ぎ、未来を結ぶ「糸六株式会社」
呉服の道、と呼ばれる室町通り。その一角に、「へのへのもへの」のマークで知られる糸屋があります。創業は明治4年の老舗「糸六株式会社」。 長い歴史を背負いながら、店の人たちはどこか軽やかに、「変わらなあかん」と笑います。その変化は、決して流行に乗るためではなく、むしろ京都の文化を、守るためのものに見えました。

代々受け継がれる、お客さんを想う心。
――まず、お店の始まりから教えてください。
創業は明治4年で、150年以上になります。屋号として「糸六」になったのは昭和に入ってからで、3代目の六治郎が由来になっています。滋賀から丁稚に来て、先代に気に入られて、という感じで。血のつながりは、そこから続いています。
――六治郎さんは、どんな方だったんですか?
社内では、厳しい人でした。でも、お客さんに会うときはニコニコ。いわゆるプロフェッショナルという感じですね。糸六のロゴマークの由来にもなっていますが、「いつも笑顔を絶やさず、腹を立てず、質の良い糸を売ろう」というのが口癖でした。商売人として、仕事に厳しく、お客さんに優しく、という信条があったのだと思います。
あとは、遊び心があるというか、アイデアマンというか。例えば、今でこそ糸ってカードに巻かれているのが当たり前ですけど、あのカード巻きを発明したのは六治郎なんです。お客さんがもっと使いやすいようにと考えたそうです。

遊び心を感じさせるショップカードも、六治郎さんの発案。
街の景色とともに、変わる商いのかたち。
――当時はどのような商いが主だったのでしょう?
震災前、阪神淡路大震災の前までは、神戸に代理店さんが結構あったんですよ。うちの糸を問屋さんに卸して、そこから小売へ、という流れで。
――でも、その形が変わった。
震災を境に、代理店さんが廃業されたり、跡継ぎがいなかったりで、どんどん少なくなって。京都にもあったんですけど、代理店という商売の仕方自体が、だんだんなくなってきました。
――室町の風景も、ずいぶん変わりましたか。
室町筋も、昔は呉服屋さんばっかりだったんです。子どもの頃は、配達の車が多いから「通るな」って言われるくらい。でも今は、呉服屋さんがほとんどない。街の景色も変わって、私たちの商いも変わっていった。代理店さんや問屋さんとのお付き合いがだんだん減っていきました。

当時の風景が色濃く残る作業場。
作家さんとつながって見つけた、新たな糸口。
――そんな時代でも、糸六が繁盛している理由はなんでしょう?
繁盛しているわけではないですよ(笑)。でも、代理店さんを挟むことがなくなって、直接エンドユーザーさんと向き合うようになったのは、大きなきっかけでした。商品も、いくらかお求めやすい価格でご提供できるようになりますし。
――“顔が見える商売“に切り替えた。
そうですね。前はエンドユーザーさんというか、糸を扱う作家さんがどんな方か、全然わからなかった。でも今は、直接お客さんから意見をいただける。イベントに出ると、ほんまにいろんなヒントがあるんです。「こんな糸があるといいな」って言われたら、可能な限り添えるようにして。

お客さんの顔を思い浮かべて糸を紡ぐ。
――それが百貨店の催事にもつながっていった。
最初は百貨店のイベントで、作家さんが作品の資材として糸を使ってくださって、「この糸を使ってます」という流れで呼んでいただけるようになりました。
行動力と好奇心から生まれた、新たな展開。
――お客さんの声で生まれた商品、具体例があれば。
草木染めですね。以前は化学染料で染めた糸が中心だったんですけど、濃淡の展開を求める声が多くて。自然なグラデーションをつくるのって難しいのですが、同じ植物から濃淡を抽出する草木染めは本当に美しくて、統一性があって。アクセサリーづくりで重宝されるんです。

自然なグラデーションが美しい草木染めの糸セット。
――草木染めって、発想そのものが楽しそうです。
私たち親子が、思い立ったらすぐやろう、っていうタイプで。例えば、たまたまテレビで、岩手の遠野でホップを採ってる映像を見て、「ホップって染めたらどうなるんやろ?」って思って、すぐ遠野まで行ったりね。
――すごいフットワークの軽さですね(笑)。
遠野に行きたかっただけ、かもしれないですけど(笑)。酒屋さんに連絡して、ホップって使った後どうするんですかって聞いたら、捨ててるっていうから、いただいて。そうやってホップで染めた糸をつくったり。
――染料と思えないものを使ってつくられているんですね。
例えば柴漬けの赤紫蘇を見て「紫蘇って染めたらどうなる?」って思ったり。紫蘇って、酢を入れずに染めると自然な緑が出るんですよ。あとは母が四国出身なので、最初はレモン。皮や実じゃ色が出ないから枝をもらって染めたり。他にも青森のりんごとか、地方ごとにいろいろやってみたくなるんです。

並べてみると深みがわかる、藍染の糸。
新たな一歩も、大切にしたいものを大切にしながら。
――伝統を重んじる京都にあって、軽やかな商いという感じがします。
奇抜なことをしすぎると、それはそれでどうなんだろう、という葛藤もあります。でも、糸六としてやってきたことを守るために、変わっていかなければいけない部分もあるなと思っています。
――そのバランスの象徴が、新ブランド「結糸(ゆいと)」にも見えます。
結糸は、今までよりとつながりを持つために立ち上げたブランドです。糸って、それだけで売れるというより、作家さんと共同で価値を広げていけるものだな、という想いがあって。それで、より密に作家さんと関わりながら、一緒に作品作りをしていきたいと思っていたんです。
とはいえ、私たちがそっちばかり向いていると思われるのも違うなと思って。昔から糸六を愛してくださるお客さまにご心配をおかけすることなく、新しい価値は結糸で生み出しながら、これまでのものは糸六で大事にする、という意味で、ブランドを分けることにしました。
守りたいものを守るために、変わっていく。
――観光客や海外との接点も増えていますか。
海外の観光客の方も来られますし、ネットを通じて「海外発送できますか」といった問い合わせもよくいただきます。コロナが明けてからはクラフトツアーがあって。2週間くらい滞在しながら、観光より、ものづくりを体験するツアーだそうです。刺し子の先生を招いて、2階の「六治郎庵」でワークショップをやったりしています。
――海外の方には、糸の色も新鮮に?
うちの絹糸は、着物に合うような、ちょっと“はんなり”した色なんです。はっきりと赤や青と言えないような、そのニュアンスが珍しいみたいで。興味深そうに眺めてお買い求めいただいていますね。

さまざまな表情を見せる、糸六が紡ぐ糸。
――最後に、これからの目標を聞かせてください。
まずは全国の方に知ってもらうこと。イベントで声をかけていただけるのが、今のところは東京や名古屋といった大都市が中心。これからは北海道や九州まで、日本全国を巡っていきたいと思っています。
やっぱり社会の変化もあって、店の中で同じことを繰り返していると「あかんなあ」と気が滅入る時もあります。でも、飛行機に乗ると見える景色も変わります。糸の可能性を感じられます。こういう変化を繰り返して、新しい糸の価値を見つけていくことが、商いを守るということなのかなと思っています。
作家とのつながり、素材との出会い。糸六の軽やかな足取りは、日本全国を、そして世界に繋がっていくように見えました。流行りを追いかけるのではなく、歴史を守るために。次々と新たな関係を結ぶ様子は、糸六が長年、糸を紡いできた姿そのもののようでした。(文:大村、写真:山本)
※掲載内容は取材時のものです。最新情報は念のため店舗公式の情報をご覧ください。






